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東京高等裁判所 昭和30年(う)157号 判決 1955年4月19日

控訴人 被告人 鯰江四郎

弁護人 樫田忠美

検察官 小西太部

主文

原判決を破棄する。

本件を原裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、末尾に添附した、被告人竝に弁護人樫田忠美提出の別紙各控訴趣意書記載の通りである。これに対し当裁判所は次の通り判断する。

弁護人の控訴趣意第一点の(二)、について。

窃盜罪の成立には被告人が他人の財物を不正に領得する意思を有することを要することは所論の通りである。しこうして右の不正に領得する意思とは、権利者を排除して他人の財物を自己の所有物としてその経済的方法に従いこれを利用又は処分する意思をいうものと解すべきところ、原判決が判示第二事実の認定に引用した証拠によると、被告人は原判示第二、の日時場所において東京都陸運事務所管理にかかる自動車登録原簿一通を自己の住所氏名を明記した上これが閲覧申請手続をして閲覧した後これを係員に返還し、係員がこれを机上の決裁箱に入れ置いて執務中の隙に乗じこれを閲覧した部屋から持ち去り鑵に入れて他家に預けていたが、やがて知人等に気付かれ騒がれたので約一週間後右自動車登録原簿一通を東京都陸運事務所郵便受に入れて返還した事実を認めることができるけれども被告人が該自動車登録原簿一通を右の不正に領得する意思を以て持ち去つたものと認めることができないのである。却つて原判決の判示第二、事実の認定に引用した証拠と当審の事実取調における被告人の検察官に対する昭和二九年一〇月五日附供述調書によると、被告人は該自動車登録原簿記載の自動車を被告人の斡旋によつて買受けた高島吉邦がこれを他に転売して多額の利益を得たにもかかわらず被告人に対して極めて僅少の謝礼をしたに過ぎなかつたので、前記のように自動車登録原簿を閲覧した際係員に対し、右の自動車は移転登録か、新規登録のいづれかをする準備中であるから、その所有名義を変更するようなことのないようにしてもらいたいと依頼したが、係員は陸運事務所としては申請があれば受理しなければならないから、さような申出には応ぜられないと述べて拒絶したので、被告人は右の自動車の所有名義を変更することを一時妨害して高島吉邦及び買主等を困惑させるにはその登録原簿を持ち去り一時これを利用することのできないようにする外ないと考えて、その登録原簿を持ち去つたものであることが認められるのである。このように自動車登録原簿を一時利用することのできない状態に置くためにその備付場所から持ち去つた場合には、これについて毀棄罪の成立することあるは格別窃盜罪は不正に領得する意思を欠くことの故に成立しないものといわねばならない。従つて被告人が前記認定のような意図の下に自動車登録原簿をその備付場所から持ち去つた所為を被告人がこれを窃取したものと認定している原判決はこの点において事実を誤認したものであり、しかもこの事実誤認は判決に影響を及ぼすことは勿論であるから論旨は理由がある。

仍つて被告人の本件控訴の論旨に対する判断を俟つまでもなく理由があるから刑事訴訟法第三九七条に依り原判決を破棄することとし、同法第四〇〇条本文に依り本件を原裁判所に差し戻すこととする。

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 吉田作穗 判事 山岸薫一)

弁護人樫田忠美の控訴趣意

第一点の(二) 第二の窃盗を認定した事実について

被告人は、原審第一回公判廷の冒頭陳述において、これにつき「起訴状記載の日時場所において自動車登録原簿を持ち出してきたことは間違ありませんが、それは私が登録原簿を見ようと思つて陸運事務所へ行つたところ、眼鏡を忘れたので、そのまま持ち帰りましたが、盗去意思はありません」と陳弁しており、これに関する証拠を精査すると、本件は窃盜罪が成立する余地なきものである、即ち窃盜罪には被告人において財物を不正に領得する意思を有することが必要であるに拘らず、本件においては被告人にその意思が全然ないことが明認される、何となれば第一回公判調書中に記載しある如く、被告人は検察官の質問に対し「名義を変更していないので、川口と云う学生に頼まれ陸運事務所へ行つたときの名前は『鯰江四郎』という本名を使つておる」と述べており、東京陸運事務所所長萩原栄治作成名義の盜難被害届と題する書面(記録七十四丁参照)中に被害品目として「自動車登録閲覧申請書」とあり、その住所氏名欄には被告人の住所氏名が明記せられておる事実に対照すれば、前示被告人の供述は真実であることが認められる。この点に関する証人として第二回公判廷に出廷した東京都陸運事務所職員佐々木徳は(記録二十六丁参照)「自分は自動車登録原簿の作成閲覧に関する仕事をしておる、被告人と思われる人が、ある自動車の登録原簿を閲覧させて呉れと云うて来たから女職員に原簿を出させ、申請人に提示させました、申請人(被告人を指す)が私に質問してきました、見ると、その車は既に抹消してある車で、新規登録用謄本を交付してありました、申請人は移転か新規登録かの準備中であるから、車の所有名義が変らないようにして呉れと云いましたが私は役所としては申請があれば受理しなければならないので、その話は役所を除いて当事者間でして呉れと拒絶しました」と申し述べておる程であるから、被告人がその原簿を持ち帰つたことが事実であつても、これを持ち去れば、直ちに自己の責任が問われることは自明の理である。一時借りて調べて見ようと云う図撰な考えで持ち帰つたものであると推測するのが相当である、しかもこの登録原簿を売却しても、また隠匿しても、そのものから流出する経済的効果を、直接に被告人の頭上に受けることはあり得ない、強いて考えれば被告人が秘かに東京都陸運事務所から自動車登録原簿を持ち出して置けば名義書替を為さんと欲する者が他に現れても直ちに変更できなくなるであろうことを推測して、これを持ち帰つたと推断するの外はない、而して、文書の毀棄は必ずしも有形的に毀損する場合を云うのみならず、無形的に一時その文書を利用すること能わざる状態に置きたる場合をも指称するものであるから、本件は、公務所の用に供すべき文書の毀棄罪(刑法第二百五十八条)が成立すると認めるの外はない、然るに、本件につき検察官から訴因変更の申立がないから、結局において公訴棄却を宣すべき事案であると信ずる、左記判例参照相成度し。

大審院判例(昭和九年(れ)第一〇七〇号同年十二月二十二日第三刑事部判決)「競賣記録ヲ無斷裁判所閲覧室ヨリ持チ歸リタル者ノ責任」「檢事ハ本件被告人ノ行爲ハ窃盜罪ヲ構成スヘキモノナリト主張スレトモ、凡ソ窃盜罪ノ成立スルカ爲ニハ同罪ノ構成要件タル事實ヲ認識スルノ外犯人ニ於テ財物ヲ不正ニ領得スル意思ノ存在ヲ必要トスルモノナルニ不拘、判示被告人ノ行爲ハ其ノ犯行ノ動機ニ於テ説明シタルカ如ク、行爲當時被告人ハ恩顧ヲ蒙リタル三文字辯護士カ判示競賣事件ノ延期方法ニ苦慮シ居レルヲ知リタルヨリ、單ニ該事件ノ進行ヲ一時妨害スル意圖ノ下ニ競売場ヨリ競賣記録ヲ持チ出シ、之ヲ隠匿セムコトヲ決意シ、之ヲ實行シタルニ過キスシテ毫モ該記録ヲ持出シ經濟上ノ用法ニ從ヒ利益ヲ獲得セムトシタルモノニ非サルカ故ニ、斯ル意思ノ下ニ行ハレタル行爲カ偶々結果ヨリ觀察スルトキハ或ル經濟上の利益ヲ推想セシムルコトアリトスルモ、之ヲ目シテ不正領得意思ノ下ニ行ハレタル行爲ト云ウヲ得ス。然レハ本院カ事實審理ヲ爲シ確定シタル事實就中被告人カ競賣裁判所ヨリ記録ヲ持出シタル意思ニシテ叙上判示ノ如クナル以上窃盜罪ヲ構成スヘキモノニ非ス、然リ而シテ刑法第二百五十八條ニ所謂文書ノ毀棄トハ必スシモ文書ラ有形的ニ毀損スル場合ノミナラス、無形的ニ一時其ノ文書ラ利用スルコト能ハサル状態ニ措キタル場合ヲ指稱スルモノナレハ前顯認定ノ如ク被告人カ競賣裁判所ノ使用セル判示競賣事件ノ記録ヲ其ノ競賣期日ニ競賣裁判所ヨリ窃カニ持出シテ之ヲ隠匿シ、一時競賣ヲ爲スコト能ハサルニ至ラシメタルモノナル以上、被告人ノ行爲ハ公務所ノ用ニ供スル文書ヲ毀棄シタルモノニシテ刑法第二百五十八條の罪責ヲ免カレサルモノトス」

(その他の控訴理由は省略する。)

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